1980年代初頭、ミネソタ州セントポール(Saint Paul,MN)で、ストークリー・ウィリアムス(Stokley Williams:Vo/Dr)、ローレンス・ラリー・ウォーデル (Larry Waddel:Key)、オデール(Homer O’Dell :G)という高校の同級生が集まった。のちにケリ・ルイス(Keri Lewis:G)、ジェフリー・アレン(Jeffrey Allen:Sax/Key)、リッキー・キンチェン(Ricky Kinchen:B)が加入。6人編成となり、91年、同郷のジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)が率いるパースペクティヴ(Perspective Records)から、第2弾アーティスト(第1弾はサウンズ・オブ・ブラックネス(Sounds Of Blackness)として、アルバムデビューを果たした。デビュー・アルバム『Meant To Be Mint』からは「Breakin' My Heart (Pretty Brown Eyes)」が50万枚のヒット。いきなり周囲にその実力を知らしめることになった。
ストークリーのナヨ声は、ベイビーフェイス(Babyface)やトニーズ(Tony Toni Tone)とならんだスイート・ヴォイス。それを武器に人気も上昇。2nd『From The Mint Factory』をリリースする頃というのは、彼らのような“セルフ・コンテインド・バンド”という形態には逆風が吹き始めていた。しかしながら、その人気は安定したものであった。
このころから、バンド以外でのプロデュース・ワークも目立つようになる。ソウルトリィ(Soultry)やジェシ・パウエル(Jesse Powell)のアルバムや、サントラ『Jason’s Lylic』にも参加している。
90年代末は、バンドとしてやりたいことが出来るようになったんだと感じさせられる3rd『Definition Of A Band』、レコード会社を移籍した後にリリースされた、最後のオリジナルメンバーでの録音となった4th『Life’s Aquarium』をリリース。しかし、これを最後に音沙汰を聞かなくなったことや、トニ・ブラクストン(Toni Braxton)と結婚したケリ・ルイスの脱退などのニュースから、解散してしまったようにも思われていた。
しかし、2005年に自らのレーベル“ケイジド・バード(Caged Bird Records)”を立ち上げ復活。ラフ具合が目立つ5th『Livin' The Luxury Brown』をインディからリリースし、インディ・チャートで首位を獲得した。特にスロウで昔からのファンを喜ばせた。その翌年には、彼らの真骨頂であるライヴを重ねて作られたライブ盤『Live From The 9:30 Club』もリリースしている。
2008年には、全盛期の彼ららしい雰囲気の「Nothing Left to Say」を含む6th『E-Life』を、2011年には7th『7』を順調にリリース。時代が変わろうとも同じ体制でリリースを続けられるのがミントの底力であろう。
間髪入れずに翌年には『Music At The Speed Of Life』をドロップ。彼らしか出せない色と言える「Believe In Us」を聴く限り、自身らが楽しみながら充実した作品をリリースし続けれくれるものだと感じた。
(2008.08.18/2011.05.15/2015.03.15)