オハイオ州出身。デントンより東に、車で30分ほどの場所にある黒人大学の学生であった、チャールズ“チャズ”リース .Jr(Charles“Chazz”Reese.Jr=トレド生まれクリーヴランド育ち)、ジェイソン・ヒル(Jason Hill=インディアナポリス出身)、マーク・スコット(Mark Scott=シンシナティ出身)、アーロン・ホールトン(Aaron Horton=コロンバス出身)の4人は、ミッドナイト・スター(Midnight Starr)の「Slow Jam」や、ディール(The Deele)の「Two Occations」でのコラボレーション経験があるアンクル・ジャムズ・ジョンソン(Uncle Jam's Johnson)により発掘され、1992年にオーディションを受けることになる。しかし、ゴスペルへ転向を志したアーロンが脱退したり、サム・ジョンソン.Jr(Sam Johnson .Jr)やシェリー・ワイリー(Shelley Wiley)の参加・脱退劇があったりと、メンバーが多数変わった(活動5年の間にメンバーとなったのは実に8人であった。)ことにより、なかなか思ったような活動はできなかったようだ。
1994年、ようやくシンシナティのインディ・レーベルと契約がまとまり、1st『Rebirth Of Soul』をリリース。プレス枚数は少なかったようだが、大きな賞賛を得た。シングルとなった「Committed」はアンクル・ジャムとマイロン(Myron)がプロデュースにあたった。
1996年にはチャズとカーミット・クイン(Kermit Quinn=トレド出身)、アンジェロ“レモン”ダーラム(Angelo “Lemon” Durham=アトランタ出身)の3人組として、セルフタイトルとなった2nd『Renaizzance』をリリース。その中から、完全にアンクル・ジャムのサシガネであろうミッドナイト・スターのカヴァー「Slow Jam」がR&Bチャートで88位を記録した。
その後、トニー・テリー(Tony Terry)、フェイス・エヴァンス(Faith Evans)や112などと仕事をしていたようだが、1997年初頭に解散。グループが生き残っていくには難しい時代だったことは間違いないのだが…。
解散後は、アンジェロが2007年にソロ『Natural』をリリース。そして裏方としてキース・スウェット(Keith Sweat)『Ridin' Solo』には8曲提供。ツアー・メンバーとしても同行した。また、オリジナル・メンバーであるチャズが、公式Webページにて2015年春に『Faith 2.0』という作品を予定していると発表。2人も現在のシーンに残っていることを鑑みると、実力者がそろったグループであることが立証されていると言えるだろう。
(2010.07.16/2015.04.04)