本名:ジャヒーム・ホーグランド(Jaheim Hoagland)。1978年5月26日生。ニュージャージー州ニュー・ブラウンズウィック出身。彼が2才の頃に父親が他界したこともあり、プロジェクトの母子家庭で育つ。特にクワイアに所属することもなかったが、3歳の頃から歌い始めていたようだ。15才の時にApollo Theaterの「アマチュア・ナイト」で3週連続優勝。歌ったのは、3回ともルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)「A House Is Not A Home」だそうだ。
順調にアーティストへの道を模索し始めた矢先、母が他界。高校生にして、早くも両親を失ってしまった。しかし、失意の中でも悪の道に染まる事無く、叔父さんとデモテープを作成。ニューアークにあるケイ・ジー(KayGee=元ノーティ・バイ・ネイチャー(Nobody Nature))の店(「Naughty Gear Store」)へ持参した。それをきっかけに、まずはケイ・ジー自身のプロダクションであるディヴァイン・ミル(Divine Mil)lと契約。後にワーナーと契約に至った。
01年に1st『Ghetto Love』をリリース。いきなりミリオンを達成してしまう。02年にも『Still Ghetto』をミリオン、ブランク空いた3rd『Ghetto Classics』は全米チャート初登場第1位を記録し、売上は50万枚を突破。名実ともにGhettoを代表するアーティストに成長した。3rd発表時の「bmr」誌のインタビューでは、
「ゲットーという言葉を使うのは、俺がゲットーに愛されているからだ。包まれている、と言ってもいい」(bmr:2006.5月号より)
と回答しているからこその“Ghetto3部作”の完成に強い力を感じた。
その後、アトランティックへ移籍。07年には4th『The Makings Of A Man』をリリース。これまたゴールド・ディスクとなった。変わらないスタイルは10年の5th『Another Round』でも貫かれ、そのブレない姿勢を支持するリスナーは多数。ジェラルド・リヴァート(Gerald Levert)のバトンを受け取ったのはまさしく彼と言えるだろう。
13年リリースの6th『Appregiation Day』はビルボードTOP200において、6位を記録。この数字は不遇のR&Bの世界においてはすごいことである。
(2011.01.04/2014.12.24)