1971年1月28日、ノースカロライナ州シャーロット(Charlotte)生まれ。10歳のときに教会の聖歌隊へ入り歌い始める。母親が精神的に不安定なこともあり、14歳の時に養父母に引き取られた[*1]。その後、地元サウスメクレンバーグ(South Mecklenburg High School)高校に通い、その後転校しハーディング高校(Harding University High School)を卒業し、ヘア・スタイリストになった。
21歳のときにプロデューサーであるマーク・セッツァー(Mark Setzer)に導かれ、アンドレ・ハレル(Andre Harrell)のアップタウン(Uptown Records)と契約。しかし、ハレルもアップタウンとゴタゴタしていたこともあり、結局ご破算。親会社のMCAへうつり、ようやくシングル「Nobody Eles」、アルバム『XTC』をリリースした。しかし、作品は世の中に出回らず...。
その後、契約するレーベルが倒産したり、消滅したりと不運続きでありながらもめげること無く、ようやく自身の活動らしいことができるようになったのがマイク・シティ(Mike City)のソウライフ(Soulife)に在籍してからなのだろう。その間に多数のアーティストと交流し、サンシャイン・アンダーソン(Sunshine Anderson)の「Last Night」、ドネル・ジョーンズ(Donell Jones)への「U Know What’s Up」の提供、ヒップホップ勢との客演・・・。現在まで続く他のアーティストに“呼ばれる”ことは、すでにこの頃にできあがっていたようだ。その期間にディアンジェロ(D'Angelo)の“Voodooツアー”にバック・ヴォーカルとして参加。しかし、ツアーから戻るとソウライフは消滅。結局またしてもディールを失ってしまう。
ここでも諦めること無く活動を継続。そこでチャンスが巡ってくる。コラボレイトしたナッピー・ルーツ(Nappy Roots)の「Po’ Folks」が大ヒットし、グラミーにもノミネートされたのだ。グラミー当日の昼食会でマイケル・モールディン(Machael Mauldin)に認められ、すぐに息子であるジャーメイン・デュプリ(Jermaine Dupri)に紹介。そうしてたどり着いたのがソー・ソー・デフ(So So Def)であった。
ようやく正式にデビューできたアンソニーは『Comin' From Where I'm From』をリリース。時流とは縁の無いサザンソウル作品でありながら、時間をかけてプラチナ・アルバムにまで成長。自身の作品としてグラミーにもノミネートされた。
2005年にはソウライフ時代の未発表曲をまとめた『Soulife』、新作『Ain't Nobody Worrin'』の2枚をリリース。後者はゴールドアルバムになり、一発屋で無いことを証明。アルバムは3枚連続でR&Bチャート10位以内を獲得している。この年はプライベートでも自身のコーラスを務めていたターシャ・マクミラン(Tarsha McMillan)と結婚[*2]。公私ともに順調であった。
ソー・ソー・デフを離れてリリースした『The Point Of It All』もゴールド・アルバム。続く『Back To Love』ではベイビー・フェイス(Babyface)を迎えるなど、充実した作品をリリース。クリスマス・アルバムを挟んでの『What I'm Feelin'』が最新作となっている。
アルバムリリースからは時間がたっているが、活動はもちろん現役。さらに地元シャーロットへの寄付やボランティア活動などを評価され、2019年に地元で勲章を授章している。
2020年にはケム(Kem)に楽曲を提供するなど、50歳になっても衰え知らずなところを見せてくれている。
(2021.03.13)
[*1]結構大変だった様子。本人も母との別離は仕方なかったと語っているようである。養父母にはとても大切に育てられたそうである。
[*2]6人の子だからに恵まれているが、夫人とは2015年に離婚。