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ORAN JUICE JONES

renaizzance

Biography

1959年、テキサス州ヒューストン(Houston,TX)生まれ。ニューヨーク・ハーレム育ち。小学生の高学年の際に作文コンテストで入賞して以降、「書くこと」が好きになり、それがアーティストへの進路を決める礎となる。

しかし、まっすぐとその道に進めるほど、恵まれた環境ではなかった。なんと15、6歳の頃には生活費を手に入れるため、3人組で宝石店泥棒をやっていたようだ。そんな荒れた生活の中で、あるとき銃弾を受けてしまう。このことをきっかけにヒューストンの大学へ進学し、生活を改めようとしていた。しかし、ここでも学費に困ったのだろうか。ドラッグの売買に手を染め、大学を退学させられてしまう。そしてまたニューヨークへ戻っていく。

ニューヨークに戻ると、昔からのストリート仲間であるカーティス・ブロウ(Kurtis Blow)がラッパーとして活躍していた。これをきっかけに音楽の世界へ足を踏み入れる。カーティスのデビュー作で「Daydreamin」という、ラップはブリッジ部分にしか含まれない、かわいらしいポップな楽曲を共作。この曲を含むアルバムは、初めてラップのアルバムとしてゴールドディスクを獲得した作品として記録されている。

しかし、その楽曲のレコーディング当日の朝に、事件が起こる。古い友人から「今の生活を良くするため刑務所に入る覚悟で何かを起こしてやるんだ」と電話があった。ジュースは「カーティスがレコードで俺たちを助けてくれる」と説得したようだが、聞く耳を持ってもらえなかった。そこで、「おまえがやるなら一緒に行こう」と伝えたものの、ジュースが行かなければ友人も考え直すだろうと考え、行動しなかったのだが…。スタジオに彼の死を告げる電話が、その友人の妹から連絡があった。妹はジュースを責め立てた…。この時に「二度と間違った道には戻らない」と決めたそうである。[*1]

カーティスのアルバムが成功したこともあり、そのつてでジュースもデビューにこぎ着ける。83年にエレクトラ(Electra)から「Rock Your Body」をリリースするも、商業的に完全に失敗。86年にCBSから再デビューすると、2枚目のシングルとなった「Rain」がブラックチャートを登頂。POPチャートでも9位に上がり、地位を獲得した。

「Rain」を含む1st『Juice』をかわきりに89年までに3枚の作品を発表。これまでの人生が反映されたかのような、ストリート感覚抜群な詞を、ラップではなく歌で表現した。
時を挟んで97年には、ウィリー・ミッチェル(Willie Mitchell)とタッグを組んだ『Player's Call』を発表。その組み合わせに驚かされた。
 その後、引退説が流れつつも、トライフリン・ファミリー(The Triflin' Family)名義で作品を発表。決して歌えるアーティストではないジュースが裏方にまわることで、さらにジュースの生み出す才能を感じ取れる作品になっている。

近年もライブを中心に活動は続いており、Facebookなどで近況も確認できる。その笑顔を確認する限り、穏やかな活動を続けているようである。

(2022.01.7)

[*1]3rd『To Be Immoratal』のライナーノート(吉岡正晴氏)参照

Discography

『Juice』

(1986)

『G.T.O.』

(1987)

renaizzance-the_best_of_renaizzance

『To Be Immortal』

(1989)

『The Triflin' Family
     “Trife Life” 』
  (2006) 

『The Triflin' Family
“Fruits Of The Game” 』
  (2009)

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