76年、オハイオ州クリーヴランドにて、キンズマン・ダズ(Kinsman Dazz)が結成される。当時のメンバーは、ボビー・ハリス(Bobby Harris)、マイケル・ワイリー(Michael Wiley)、アイザック・ワイリー(Isaac Wiley)マイケル・カルホーン(Michael Calhoun)、ケニ―・ペタス(Kenny Pettus)。現在もメンバーなのはボビーのみであり、多数のメンバーチェンジを繰り返している[*1]。
もともとベル・テレファンク(Bell Telephunk)とマザー・ブレインツリー(Mother Braintree)という2つのバンドが統合して、キンズマン・ダズ(Kinsman Dazz)が誕生。アース・ウィンド&ファイア(Earth,Wind&Fire)のフィリップ・ベイリー(Philip Bailey)とラルフ・ジョンソン(Ralph Johnson)にバックアップされ(=アース・フォロワー的なバンド)2作品を残している。
ダズ・バンド(Dazz Band)と改称し、モータウンと契約したのは80年の『Invitation To Love』から。後にダズバンドの顔となるスキップ・マーティン(Sennie “Skip” Martin)が参加したのもここからである。彼らを昇華させたのは次作で起用されたレジー・アンドリュース(Reggie Andrews)に寄るところが大きい。レジーはリオン・ンドゥグ・チャンクラー(Leon Ndugu Chancler)も担ぎ出し、「Let It Whip」を制作。JAZZ界では知られた二人のミュージシャンがファンクへのアプローチを行ったこの作品は大ヒット。R&Bチャートを制覇し、さらにグラミーも受賞した。
レジーとリオン体制はその後もしばらくの間継続。「Let It Whip」のようなアップと、「Knock Knock」のようなスロウを自在に操り、「Swoop」「Hot Spot」などのヒットも生まれた。
この体制が崩れてから、グループとしての勢いは失速。スキップ・マーティンもグループを離れ[*2]、ゲフィンとの契約も1枚で解除されるなど80年代後半は不遇の時代であった。時代はニュージャック~ヴォーカルグループが隆盛を極め、このまま消えていくような雰囲気さえあった。
95年の『Under The Streetlight』までは、ヴォーカリストが作品ごとに変わり、いまいちダズバンドとしての個性が出せなかったが、97年の『Double Exposure』からスキップ・マーティンが復活。多少ファンク色は薄まっているが、その分彼らのもう一つの魅力であるスロウが色濃く表現されている。
21世紀に入り、活動はマイペースに継続。2014年には新ヴォーカリストとしてドニー・サイクス(Donny Sykes)を迎えた。しかし、元メンバーによる訴訟[*3]など、音楽以外のことが報道されることもあり、なかなか順調とはいかなかったようだ。その問題も解決し、2019年にはシングル「Drop It」、2020年に「Your Luv」もリリース。まだまだ現役のようだ。
(2021.01.02)
[1]あまりに入れ替わりが激しいのでここでは割愛。20人以上が入れ替わっている。
[2]スキップはその後クール&ザ・ギャング(Kool & The Gang)に移籍。10年以上もレジェンド・グループを支えた。
[3]設立メンバーであったマイケル・カルホーンらがダズバンドのトレードマークを商標申請したことから、ボビー・ハリスは激怒し、取り下げの申請裁判を行った。2年以上費やし、ようやくハリスの勝利が確定している。