ニューヨークはブロンクス出身。8歳でドラムをたたき始め、兄の影響でベースを始める。13歳の時には教会のドラマーに就任。ここでオルガンも習い始めるという根っからの音楽人生である。
ソングライターとしてキャリアをスタートさせると、テディ・ライリー(Teddy Riley)に見初められ、すぐにボビー・ブラウン(Bobby Brown)の作品に参加。また、始動したバッドボーイ(Bad Boy Records)の屋台骨として活躍する。
ハーブ・ミドルトン(Herb Middleton)という名前が知れることになったのは、メアリーJ.ブライジ(Mary J.Blige)の『My Life』での仕事。アルバムがグラミーにノミネートされたことで、その名は全国区となる。この作品はメアリーにとっての自分を映し出した傑作であり、R&B史に残るものとなった。それを支えたハーブの功績は大きい。
その後も、フレディ・ジャクソン(Freddie Jackson)、フェイス・エヴァンス(Faith Evans)、トータル(Total)、SWV、ブラウンストーン(Brownstone)などの実力者との作品を支え続け、90年代に多数の良作を残し続けた。
2000年代に入ると少しずつ仕事量を減らしたようだが、アン・ネズビー(Ann Nesby)、メルバ・ムーア(Melba Moore)、サウンズ・オブ・ブラックネス(The Sounds of Blackness)といったコンゴス系アーティストもプロデュース。彼の得意とする優しいメロディ・ラインは、その世界観にしっくりハマるものであった。
現在は、ニューヴァイブ・レコーズ(NuVybe Records)のCEOを務めており、インディ界で新しい才能を支えているようである。
(2015.11.07)