1974年、サウス・カロライナ州オレンジバーグ生まれ、デトロイト育ち。ワイナンズ(The Winans)のヴィッキー(Vickie Winans)を母親に持つサラブレッドである。(マーヴィン・ワイナンズ(Marvin Winans)とヴィッキーはマリオが生まれてから結婚している。)
幼少の時、「気付いたらドラムを叩いてたんだ」とは本人の弁。両親がミュージシャンであるからこその録音機材が整った環境。高校生になるまでにはそれをすべて使いこなすまでになっていた。
高校を卒業してすぐにアトランタへ。94年頃からダラス・オースティン(Dallas Austin)主宰のDARPに所属する。このダラス・オースティンとの邂逅がプロデューサーとしての彼をさらに飛躍させた。ぺブルス(Pebbles)、R.ケリー(R.Kelly)、UNVのアルバムでドラム・プログラムを担当。96年にはフォー・リアル(For Real?)のプロデュースを行ったりと、セキュラーでのキャリアを重ねた。
97年、1st『Story Of My Heart』をリリース。現在では廃盤となっていることも重なり、すっかりお宝化してしまったが、紛れも無く歴史に残る名盤となった。
その後、アーティストとしてよりプロデュースワークに力を注いでいたが、パフ・ダディ(Sean Combs)との出会いにより、バッド・ボーイと契約。メアリーJ.ブライジ(Mary J. Brige)やR.ケリーらのプロデュースを行いながら、2004年、自身の2nd『Hurt No More』をリリース。エンヤ(Enya)「Boadicea」を大きくフィーチャーした「I Don't Wanna Know」が大ヒット。ビルボードR&Bチャートを制覇、ポップチャートでも2位まで上昇した。さらにグラミーやビルボードな様々な賞にノミネート。アーティスト・“マリオ・ワイナンズ”を大きく印象づけた。
2006年には『My Purpose』という名で、2010年『Love's Highway』という名でアルバムが予定されていたのだが、ともにお蔵入り。相変わらずディディ周辺では、裏方稼業が忙しいようだが、なかなか自身の作品は発表できていない。2013年にはネット上で新曲「Young Money」を発表している。今度こそリリースされるのか!?とファンをヤキモキさせている。
(2010.09.25/2015.01.02)