ノースカロライナ州モンロー生まれ、シャーロット育ちのヘイリー兄弟と、バージニア州ハンプトン出身のディグレイト兄弟による4人組み。ボーイズⅡメン(Boyz Ⅱ Men)と人気を二分し、それ以降のヴォーカル・グループを引っ張っていった存在である。
セドリック“K-Ci”ヘイリー(Cedric“K-Ci”Hailey:69年生)、ジョエル“Jojo”ヘイリー(Joel“JoJo”Hailey:71年生)のヘイリー兄弟は、教会の聖歌隊で歌う父親の影響を受け、ゴスペルを歌うようになる。リトル・セドリック&ザ・ヘイリー・シンガーズ(Little Cedric & The Hailey Singers)というゴスペル・グループで、3枚のアルバムも発表している。
一方、ドナルド“DeVante”スウィング(Donald “DeVante” Swing:69年生)、ダルヴィン“Mr.Dalvin”ディグレイト(Dalvin “Mr.Dalvin” DeGrate:71年生)のディグレイト兄弟は父親が牧師という環境から、これまたゴスペルを歌って育った。
ディグレイト兄弟がシャーロットに越してきて、お互いの曲をラジオで聴くようになり、両者の実力を認め合ってグループを結成するために邂逅。しかし、初顔合わせのときに、ダルヴィンがつれてきたのがK-Ciのガールフレンドだったため激怒!!そのいきさつから、まずはヘイリー兄弟とデヴァンテの3人で活動を始める(だからジョジョのJO、デヴァンテのDE、K-CIのCI)。最終的にNYに進出する前に4人組となり、アップタウン・レコードにデモテープを売り込み。ヘヴィ・D(Heavy D)が彼らのデモ・テープを聴き、アップタウン・レコードのCEO:アンドレ・ハレル(Andre Harrell)に伝え、契約に至る。
1991年の1st『Forever My Lady』からは、「Stay」「Forever」「Come And Talk To Me」の3曲でR&Bチャートを制覇。アルバムも300万枚を超える大ヒットとなり、すぐにビック・グループへと昇華した。1993年に2nd『Diary Of A Mad Band』を発表。「Cry For You」「Feenin'」などをヒットさせる。しかしこの年、K-CiとDevanteが女性に暴行したとして訴えられたり、翌年はDevanteが強盗に銃を向けられ、16万ドルの被害にあったりと、本業以外の話題が目立った。
1995年3rd『The Show, The After Party, The Hotel』を発表。しかしながら、グループは突然活動休止を発表。ヘイリー兄弟はケイシー&ジョジョ(K-Ci&Jojo)として2002年までに4枚の作品を発表。Mr.Dalvinはソロ作を発表、Devanteはプロデュース業をこなした。
その後何度もジョデシィ(Jodeci)復活がささやかれた。2005年にはライヴ活動で復活。あとは新作を待つばかりと思っていたが、肝心の最新作がいまだに届けられていないとは!結局復活劇はあるのだろうか!?
(2005.12.20/2011.04.15)