1968年12月3日、L.A.サウス・セントラル出身。この地は治安が悪く、2大ギャング団が子どもたちの隣で撃ち合いをするような場所である。そのような劣悪な環境下でも、「オレには他にやること(音楽)があったから」と本人が語るとおり、グレることもなく育った。そんな背景からか、ギャングスタ・ラップのような社会的メッセージではなく、夢・愛・希望といった前向きなリリックを好んだ。
11歳から教会に通い始め、ピアノを習得。16歳でヴォーカルをとるようになり、大学ではジャズやヒップホップを好んでいった。ペパーダイン大学を卒業し、ディール獲得を模索。7年間かかり、PMPレコーズ社長のポール・スチュワート(Paul Stuart)に見出されたことにより、Def Soulと契約した。
1995年のデビュー・シングル「This Is How We Do It」は、R&B、全米チャート両方で、7週連続No.1という記録を達成。アルバムもプラチナムとなった。その後も、デビューシングルを超えるヒットはなかったものの、2nd『More...』を96年、3rd『Let's Ride』を98年、4th『Get It On...Tonite』を99年に発表し、全てゴールド・アルバム(50万枚以上)となっている。
しかし、所属のデフ・ソウル(Def Soul)は、もっと大衆が好むようなパーティー・ソング(ヒットする曲)を期待する。5th『Montell Jordan』は、モンテルが最もパーソナルな作品と言うとおり、言い返せば地味な作品であった。これに対し、デフ・ソウルはアメリカ本国での発売を見送り。ワールド盤のみのリリースとなった。
その後、03年に映画『The Fighting Temptations』というビヨンセ主演の作品にも出演。その才能を各方面でも発揮している。
前作のことが引き金となり、モンテルはデフ・ソウルを離れ、インディ最大手の“Koch”へ移り、エンタープライズ・レーベル(Enterprise label)を設立。03年に移籍第一弾の6th『Life After Def』をリリースする。作品名からレーベルとのごたごたを連想させられた。
7th『Let It Rain』もインディ(Fontana Records label)からのリリースとなったが充実した内容であり、現役ぶりをアピールしていた。
しかし、その後は音沙汰がなかった。調べたところ、2010年にクリスチャンとして生まれ変わり、音楽活動を終了させたことを報告が。アトランタのビクトリー・ワールド教会でゴスペルを歌っているようだ。
(2005.12.24/2010.05.15)