ルネー・ヌーヴィル(Renée Neufville)とジーン・ノリス(Jean Norris)によるデュオ。ルネーはニューヨーク・ブルックリン生まれ。5歳でクラシック・ピアノを始め18歳まで学んでいた。高校生の時にはゴスペル・クワイアのキーボードを担当し、そのままミュージック・ディレクターに抜擢された。一方のジーンはニュージャージー州ムーズアタウン(Moorestown) 育ち。こちらもピアノを学び、教会でゴスペルの洗礼を受けて育つ。地元の高校ではグループを結成して音楽活動を行っていた。
そんな二人が邂逅を話すのがテンプル大学である。ルネーは英文学、ジーンはジャズ・ヴォーカルを専攻する。オリエンテーションで知り合った二人は意気投合し、気づけばルームメイトに。さらに2人でタレント・ショウに出演。ルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)の「Here And Now」を歌い、見事優勝する。
大学では有名な存在になりつつあった彼女たちだが、プロへの意識は低かったようである。それを覆し、ショウビズの世界へ引き込んだのはDJジャジー・ジェフ(DJ Jazzy Jeff)である。彼女たちの歌を目の当たりにし、A&Rのベニー・メディーナ(Benny Medina) へ紹介。デュオとしてのデビューを勧めた。
まずは手始めにDJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンス(The Flesh Prince)の「Ring My Bell」でコーラスとして参加した。全米チャート20位まであがったこの楽曲を自信に、各レコード会社へアピール。クイーン・ラティファの“フレイヴァー・ユニット”のアーティストとなった。1992年12月のことであった。
それからデビュー・ヒットとなった「Hey Mr.D.J.」をリリースするまではあっという間。1993年7月にドロップされたこの楽曲はR&B3位、USチャートでも6位を記録。プロデュースしたのがノーティ・バイ・ネイチャー(Naughty By Nature)のケイ・ジー(Kay Gee)ということもあり、ヒップホップ色が濃厚なこのプロダクションをラジオ局がこぞってプレイしたという。
1994年3月には1st『Pronounced Jah-Nay』を発表。R&B8位を記録し、プラチナム・ヒット。ここからのシングル「Groove Thang」はR&B2位、US17位と堂々たる結果であった。USチャートでも健闘した楽曲の完成度の高さと音楽性、神秘的とさえ感じてしまうヴィジュアルから繰り出されるダンストラックに魅了されてしまった人種が多数あったことは想像するにたやすい。
3年のブランクをあけ、2nd『Saturday Night』をリリース。ダンストラックはケイ・ジーが担当しているが、より彼女たちの教会出身というところを見せ付けるスロウも多数収録された。
しかしながら、この2枚で解散。ルネーは、RH・ファクター(RH Factor)や久保田利伸の作品に関与。インディア・アリー(India Arie)、ウィル・ダウニング(Will Downing)らのサポートもしていたようである。
一方のジーンはイエロー・ジャケッツ(Yellow Jackets)をサポートしてきたドラマー、マーカス・ベイラー(Marcus Baylor)と結婚。2007年にソロ作『Testimony:My Life Story』を配信リリースする。夫との活動も上手くいっているようで、“ジャネイの再結成はない”と断言している…。
(2015.07.21)