アーカンソー州ブライスヴィル(Blytheville, Arkansas)出身。本名:ジェローム・レーン(Jerome "Pookie" Lane)。父は牧師であり歌手、母親も歌手というサラブレッドである。5歳の頃には、教会に集まった群衆の前で歌い、賞賛を浴びていたという。
父親はまた、デニース・エドワーズ(Dennis Edwards)のバックコーラスも務めていたようで、その縁からプーキー自身も、17歳頃コーラスに参加する。自身のグループであるオル・スクール(Ol Skool)[*1]は、デニスのマネージャーを介してキース・スウェット(Keith Sweat)に紹介される。キーア(Keia)からのデビュー作『Ol Skool』がリリースされたのが98年のことである。アルバム自体もマルチ。プラチナム、さらにエクスケイプ(Xscape)と歌った「Am I Dreaming」がヒットし、その後も期待されるアーティストになった。
しかし、プーキー自身は1stリリース後に脱退[*2]。ソロ活動にうつることとなった。グループを離れて始めたのが、コンテンポラリー・サザン・ソウルの名手、スタン・モスリー(Stan Mosley)のサポートシンガーであった。そこでプーキーの実力に触れたのが、スタンのミュージック・ディレクターを務めていたジェームズ・マッケイ(James McKay:[ex]Temptations)だった。ソロアルバムの道筋を立てたのは、ジェームスだったようだ。2007年に、インディリリースではあるが、『Southern Woman』をリリース。そのジャケットには“The Balladeer of Southern Soul”と書かれている。南部に対してのプライドを感じる。
グループもソロも、どちらも“テンプス(Temptations)”つながりで、アルバムリリースが実現。運もあるだろうが、それを導くのは彼のウタヂカラだろう。アルバムリリースからの状況はわからないが、きっと実力で再浮上してくるのではないだろうか。
(2021.10.07)
[*1]オル・スクールの結成は、キースとの邂逅前なのか後なのか、どちらの記述もありわからなかった。しかし、1stのキースの関わり方を考えると、おそらく前者ではないだろうか。
[*2]1stのスペシャルサンクスの欄には「すぐに次のアルバムに会えるよ」って言ってくれているのだが…。少なくともアルバムを作ってすぐに脱退したわけではなさそうだ。