69年マサチューセッツ州ボストン生まれ。ニューヨーク州マウント・ヴァーノン育ち。本名:アルベルト・ブラウン(Albert Brown)。 マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)などを聴いて育ち、10歳のころに、セサミストリートの曲を歌うことが、はじめてのキャリアとも言える。
高校時代は、野球とフットボールに夢中になり、その実力はアイオワ大学からスカウトが来るほどであった。しかしながら、本気なのか真相はわからないが、“男性にタックルするよりも、女性にタックルしたい!”と、彼は音楽の道を志す。音楽を選択したのは、その環境が整っていたことも理由のひとつなのではないだろうか。従兄弟であるカイル・ウエスト(Kyle West)が、自宅にスタジオを持っており、コツコツと曲作りをしていた。次第に一緒にやって行きたいと考えたようだ。
そのスタジオで曲作り、活動をしている中、知り合いであったエディ・F[Eddie F=ヘヴィ・D & ザ・ボーイズ(Heavey D & The Boyz)]が、アンドレ・ハレル(Andre Harrell)を紹介。デモテープを気に入ったハレルは、すぐさまワーナーのA&R部門のお偉方に送付する。そして、ヘヴィ・Dのアルバムにコーラスとして参加する。
また、ソニーのオーディションでも優勝。審査員であったクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)は、アルのことを高く評価。クインシーのアルバム『Back On The Block』に参加することになる。
88年、シングル「Nite&Day」でデビュー。4~5月に大ヒットし、R&Bチャート制覇、USチャートでも7位を記録した。アルバムも200万枚のヒットを記録。いきなりスターへと駆け上がる。
以後、セックス・シンボル的なポジションで、90年に2nd『Private Times』からのシングル「Missunderstanding」も、92年の3rd『Sexy Versus』からのシングル「Right Now」もR&Bチャートを制覇。ニュー・ジャック・スウィング時代の重要人物となった。
ソングライティングでも実力を発揮。特にジョデシィ(Jodeci)、テヴィン・キャンベル(Tevin Campbell)でのサポートぶりは有名である。また、教会で歌っていたフェイス・エヴァンス(Faith Evans)を、この業界に入れたのも彼である
その後、表舞台から身を引いてしまい、モータウンの副社長をやったり、テレビ番組を作ったり、映画に出演したりと各方面で活躍した。
2001年には、名前をアル・B・シュア.com (Al.B.Sure.com)に改め、再びカイル・ウエストと活動を始め、アルバムリリースの話もあったが、結局.comは付けずに2009年に復活。4th『Honey I’m Home』をリリース。期待通りの好色ぶりでファンを喜ばせた。
(2006.01.20/2010.09.23)