コネチカット州ハートフォードで生まれ育ったブライアン、ブランドン(Brian Casey,Brandon Casey)という双子のケイシー兄弟がアトランタに居を移すところから物語は始まる。他のグループで歌っていたカイル・ノーマン(Kyle Norman)と邂逅を果たすとすぐにグループを結成。何度かのメンバーチェンジを繰り返し、上記の3人+1人の合計4人による“ツインAK”というグループで活動していた。そのグループに興味を抱いたのがマイケル・ビブンス(Michael Bivens)だった。彼のレーベル、“ビブ10”からデビューということになる予定だったのだが、中々話がまとまらない。それを待ちきれなかった“+1人”は脱退。その代わりにリチャード・ウィンゴ(Richard Wingo)が加入する。そのウィンゴは、エクスケイプ(Xscape)のメンバー・キャンディ(Candy)と高校時代の同級生。“So So Def”所属の彼女が、彼らのデモテープをジャーメイン・デュプリ(Jermaine Dupri)に届けることを予想するのは簡単なことだ。デュプリは彼らの実力をアカペラで確認。こうして“So So Def”初の男性グループが誕生した。
デビューは97年。シングル「The Way That You Talk」でデビュー。しかし、ここで予想もしない隘路を通ることになる。ソニーの幹部だったデュプリの父:マイケル・モールディン(Machael Mauldin)は、同時期のデビューとなったディスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)とキンバリー・スコット(Kimberly Scott)をセットで売り出すため、同時期に全てのアルバムのリリースする計画を打ち出す。ところが、デスチャのアルバム制作が遅れてしまい、それに併せてジャギド・エッジのアルバムリリースも待たされることになってしまったのだ。さらに、待たされた影響で日本向けのプロモーションとしては、デスチャ、キンバリー、そして彼らではなく、マライアの後輩といえる7マイル(7 Mile)にすりかえられてしまう…。結局、1st『Jagged Era』はR&Bチャート19位が最高位だった。
しかし、2nd『J.E. Heartbreak』は大ヒット。アルバムとともに、「He Can't Love U」「Let's Get Married」「Promise」という3つのシングルがR&Bチャートを制覇。ソウル・トレイン・アウォードでも“Best R&B Album”に選ばれた。
実力とともに実績も手に入れた彼らだったが、ヒット曲がバラードだったこともあり、どうしてもスロウの印象が強かった。そこで少しヒップホップによった3rd『Jagged Little Thrill』をリリース。結果、これまたR&Bチャート制覇。アップも歌えるグループとしての称号を手にすることにも成功した。
そんな彼らも巣立つ時が来た。レーベルの問題で、“So So Def”を去ることになり、コロンビアへ移籍。デュプリ無しでどうなんだ!?という心配をよそに、4th、5thでもそれなりの成績を残した。
そして6th。なんと契約の関係がもつれたこともあったのだろう。コロンビアも去ることになった。そのとき、やはりすぐに落ち着いた先はデュプリのところだった。再び“So So Def”の屋号を背負った彼らは、持ち味であるスロウばかりの作品を発表した。このご時勢に、こういったアルバムのリリースが許されたのは、ジャギド・エッジとデュプリの蜜月関係によるものだと思う。
しかし、結局2008年には“So So Def”を離脱。新たに立ち上げた“Five 81 Records”を設立した。
(2010.07.24)