本名:ケース・ウッダード(Case Woodard)。両親と2人の妹とともにニューヨークの公団で成長。あまり裕福ではなかったが、歌があふれる家庭に育つ。両親が熱心な“エホバの証人”信者であったことから、自由に色々な曲を聴いたり、歌ったりはできなかったようだ。そのため、17歳の時に家出。友人のところを頼ってはいたが、事実上ホームレス状態だったという。その時の状態を彼自身が、“最も寒かったニューヨークの冬”と語っている。19歳の時に両親と仲直りをし、実家へ戻ったと同時に、音楽以外の仕事を始める。その傍らで夢は諦めず、時間を作ってはデモテープなどを作成していた。
その地道な努力の結果、友人の紹介により、アッシャー(Usher)、アル・B・シュア!(Al B. Sure)などのバック・ボーカルの仕事が舞い込む。また、フェイス・エヴァンス(Faith Evans)に楽曲を提供することにもなった。そしてラッセル・シモンズ(Russell Simmons)に見出され、Def Jamと契約。「この契約ですべてが変わる」と思ったそうである。
1996年、映画『ナッティ・プロフェッサー(The Nutty Professor)』のサントラに提供した デビュー・シングル「Touch Me Tease Me」がミリオンに。続いて1st『Case』をリリースしヒットする。1998年には、映画『ラッシュアワー(Rush Hour)』に提供した「Faded Picture」をジョー(Joe Thomas)と熱唱。歴史に残るであろう名作となった。それを収録した2nd『Personal Conversation』を1999年にリリース。「Happily Ever After」というヒットも生まれ、アルバムはプラチナムとなる。
2001年にPOP5位・R&B2位の大ヒットを記録した『Open Letter』をリリースした後、しばらく沈黙が続く。筆者は正直、“ディールが切れてしまって、シーンに登場できないのだろう。男性R&Bシンガーには不遇の時代だから仕方ないのか…”と思っていた。しかし、真実は違っていた。
子どもたちと移住したアトランタで事件は起こった。誤って自分の喉をショットガンで撃ってしまったのだ。喉を突き抜けた弾丸は、首の後ろへ貫通。奇跡的に急所を外れ(1cm以下らしい)、一命を取り留めた。病院へ運ばれた彼を、みんなが心配したが、彼はなんと4時間で退院してきたらしい。しかもこれまた奇跡的に声帯を傷つかず、音楽活動への影響はなかったという。彼と言い、L.V.(ギャングに7発撃たれている)と言い、どれだけタフなんだろう。
その後も4thアルバム制作のため活動を続けていたものの、Def Jamとの契約はまとまらず、2004年に離れている。自身のレーベルを立ち上げるため、マネージャーと奮闘。ようやく“indigo blue”が立ち上がる。ようやくリリースされたのが『The Rose Experience』であった。しかしながら、2010年5th『Here My Love』はReal Talk Entertaimentからのリリース。ん?“indigo blue”は…?
(2010.07.11)