90年代のR&Bの総本山、アトランタ発。地元のトリシティ・パフォーミング・アーツ・ハイ・スクール(Tri Cities Performing Arts High School)で知り合ったラターシャ(LaTocha Scott:1973生)、妹のタミカ(Tamika Scott:1975生)とキャンディ(Kandi Burruss:1976生)の3人はグループの結成を決意。やるならカルテットでと考えたらしく、オーディションでタミカの中学時代からの親友らしいタメカ(Tameka "Tiny" Cottle:1975生)が加入した。
アトランタではすでに有名人だったジャーメイン・デュプリ(Jarmaine Dupri:1972年生)と知り合ったのは地元のパーティーということらしいが、その出会いをきっかけに、デュプリが開いたレーベル、ソー・ソー・デフ(So So Def)の第1弾アーティストとなった。グループはすぐに1st『Hummin' Comin' At ’Cha』を発表。すでにクリス・クロス(Kris-Kross)でその名を馳せていたデュプリの勢いと、彼女たちの巧みな歌いまわしが溶け合い、グループはすぐに結果を残す。デビューシングル「Just Kickin’ It」はR&Bチャート4週連続1位を(POPチャート2位)、歌い上げたスロウの「Understanding」はR&B2週連続1位(POP8位)を記録。一気に登りつめ、アトランタのミュージックシーンを更に盛り上げた。
その後、2つのサウンドトラックなどに客演しつつ2ndを制作。1995年に『Off The Hook』を発表する。ジャケットでは、1stでみせたB-Girlファッションからスーツ姿に変身し、大人を印象づけた。また、内容もヴィジュアルどおりにアダルトに変化。ミディアム~スロウの比重が高くなった。アルバムからはジョーンズ・ガールズ(The Jones Girls)のカヴァーである「Who Can I Run To」は、当然のようにR&Bチャートを制覇している。
またしてもサウンドトラックに参加した後、3rd『Traces Of My Lipstick 』を発表したのが1998年。ここでは更にスロウに比重を置き、落ち着いた彼女たちをみせてくれた。シングルカットされたのはダイアン・ウォーレン(Diane Warren)が手がけたというだけで分かる、きれい目スロウ「The Arms of the One Who Loves You」であった。こういった楽曲でもR&Bチャート4位を獲得していることから、彼女たちの実力が計り知れる。
まだまだ活躍しそうな彼女たちだったが、この3枚を残し、解散(解散していない説もあり)。それぞれ個々の活動に切り替わる。とりわけキャンディはその作曲能力を発揮。シェイクスピア(Kevin “She’kspere” Briggs)と組み、TLC「No Scrabs」(当初はタメカとのデュオの計画があり、そのプロジェクト用に書いた曲らしい)、デスティニーズ・チャイルド(Destiny’s Child)「Bills, Bills, Bills」などヒットを連発。特に前者では、グラミーでベストR&Bソングを受賞している。その後、シェイクスピアとの共作スタイルを解消しても、マライア・キャリー(Mariah Carey)やフェイス・エヴァンス(Face Evans)、アリシア・キーズ(Alisia Keys)らに楽曲を提供している。
(2012.11.18)