ロサンゼルス出身。大学では心理学を学び、一時はスーパーマーケットに勤務していたというゲイリーだが、いとこにスキップ・スカボロウ(Skip Scarborough)がいたことが大きく影響した。スキップはソングライターとして、アトランタ出身のファンクバンド:マザーズ・ファイネスト(Mother's Finest)に「Love Change」[*1]を提供するなど、すでに音楽業界で功績を残していた。おそらくは彼の口利きもあったのだろう。ゲイリーも83年に『G.T.』でアルバムデビューを飾った。しかも参加しているメンバーが、レックス・サラス(Rex Salas)、キッパー・ジョーンズ(Kipper Jones)いうティーズ(Tease)の面々が関わっているというから驚かされる。シングルは「On The Line」。R&Bチャート33位を記録した。
アルバムデビュー後は、作家として楽曲を提供。ダズ・バンド(Dazz Band)に「If Only You Were In My Shoes」、コントローラーズ(The Controllers)に「Keep In Touch」などを手がけた。その中でも最大のヒットはウィスパーズ(The Whispers)『Just Gets With Time』のタイトルトラック。惜しくもトップ10には入らなかったわけだが、プロデュースからコーラスまで自身で担当したことから、大きな自信になったことは明白だろう。
アーティストとして帰ってきたのは88年。2nd『Compassion』は、ほぼ全曲を自身で手掛けており、クワイエット大王の異名はここから始まったともいわれている。この年は、アニタ・ベイカー(Anita Baker)に提供した「Good Love」が収録されたアルバム『Giving You The Best That I Got』が大ヒットし、ゲイリーの名も知れ渡るという、大きな節目を迎えた。
そして自身はさらなる音楽性の追求のためだろうか。それともレコード会社からのオファーだったのだろうか。イギリスの良心、エクスパンション(Expansion)へ移籍。その後、自身のレーベル“モーニング・クルー(Morning Crew)”も立ち上げ、ここにゲイリーの城が誕生。作家としても、マック・バンド(Mac Band)[*2]「Love You To The Limit」やレイラ・ハサウェイ(Lalah Hathaway)「I'm Coming Back」らを手掛けた。
90年代には2年に1枚のペースで作品をリリース。どのアルバムも世界観はぶれることなく、ひたすら大人。流行りを追うことに何の意味があるのだろうか、といったスタンスで聴かせる楽曲を作り続けた。
2006年のアルバム『Retro Blackness』までその音作りを変えることなく披露。その後の新譜のリリースはないが、2020年の現在でもライブ活動を精力的に行っている模様。ただし、モーニング・クルーのWebサイトには、アルバム『Acoustic Therapy』をすぐにリリースする、というような内容で記述がもう長いこと記述してあるのだが…。こちらのほうは未だに届けられていない。
よく、キース・スウェット(Keath Sweat)の作品のことを“金太郎飴”と揶揄されているのを聞くのだが、ゲイリーこそがその上をいく。しかし、これは揶揄ではなく、比喩であり、否定的なものではない。変わりゆく変わらないものを提供し続ける素晴らしさ、逞しさ、安心感を感じずにはいられない。
(2020.03.15)
[1]この曲は、カシーフ&メリサ・モーガン(Kashif & Melisa Morgan)のカヴァーのほうが有名。筆者もこちらしか知らなかった。
[2]このバンドには、アルバムは違えど、ゲイリーの他にミキ・ブルー(Mikki Bleu)が楽曲提供している。この2人との邂逅を果たしているということ自体は凄いバンドなんだと思う。