オハイオ州出身。ラリー・マーカス(Larry Marcus=B.B.Kingのいとこ)、メルヴィン・セファス(Melvin Sephus)、エドワード・リー・バンクス(Edward Lee Banks)、ジョー・リトル(Joe Little III)の4人組。クリーヴランドのクラブで歌っているところをジェラルド・レヴァート(Gerald Levert)に見いだされ、契約。トレヴェル(Trevel)の一員となった。
1990年に『Rude Awakening』でデビュー。ファーストシングル「Come On Lets Do This」はR&Bチャート38位と健闘。さらに2ndシングル「Written All Over Your Face」ではR&Bチャートで31週ランクイン、そして首位を獲得してしまう(POPチャートでも16位)。1991年のR&Bシングル・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
次にR&Bチャートを征したのは、J.リトルとトニー・ニコラス(Tony Nicholas)のペンによる「Are You Lonely for Me」。これはビデオ・プロモーションもなかったのだが、それがチャートを征した。ヴィジュアルがヒットに必要となった世を考えると、本当に珍しい結果であった。それだけ純粋に楽曲の良さが際立ったのだろう。上記楽曲を含んだ1stはR&Bチャート10位を記録した。その後、レヴァート(Levert)、オージェイズ(O'Jays)らとツアーにでている。
1992年、2nd『Rude House』を発表。キッパー・ジョーンズ(Kipper Jones)の手によるニュージャックな楽曲「My Kinda Girl」は18週かかりながらも、R&Bチャート2位まで駆け上がる。続くシングル「Go Ahead And Cry」は43位とまずまずであった。
しかし、ヒップホップの台頭の影響もあり、彼らのようなグループは敬遠されるようになってしまう。時流というものは恐ろしい。ジェラルドとともにアトランティックを離れることになった。この後、リードのJ.リトルはソロ活動を開始。グループを離脱してしまう。
新メンバーにドゥワイト・トンプソン(Dwight Thompson)を迎えた3rd『Rude As Ever』は1997年のリリース。インディからのリリースということもあり、数字的には成功とはいえないが、ファンにはたまらない一枚となった。
ジェラルドの告別式でルード・ボーイズ(Rude Boys)としてお別れの曲をパフォーム。ラリーは、ゴスペルのキャリアは続けるが、Rude Boysとしての活動はしないことを語っている。非常に残念でならない。彼らがジェラルドの後ろ盾があってのグループであることを再認識させられた。
2012年2月には、J.リトルが新メンバー、ケニ・マイルズ(Keni Myles:インディアナ出身)とG・ラボー(G La Beaud:ニューオーリンズ出身)の2人を加えて新しく動くことを発表しているが…。
(2011.06.01/2015.05.07)