1974年、ヴァージニア州リッチモンド生まれ。本名:マイケル・ディアンジェロ・アーチャー(Michael D'angelo Archer)。3人兄弟の末っ子、父は牧師、聖歌隊で幼いころから歌っていた。3歳からピアノを弾くようになり、オルガン、ドラムスなどを独学で学んでいった。
12歳の時、兄ルーサーのピアノの先生が譜面を覚えさせようと、厳しく指導したらしいが、自由奔放な彼は、好き勝手に弾くことを好んだそうだ。この頃、初めてライヴを見たプリンス(Prince)の影響をうけ、プレシス(Precise)というバンドを結成。従兄弟と2人で始め、後に3人の従兄弟なども加入し、合計10名となったバンドは、アル・B・シュア(Al.B Sure)やキース・スウェット(Keith Sweat)などを演じた。
16歳でソングライティングを始め、アマチュア・ナイトを3回優勝。18歳でNYへ。EMIのA&Rの前でピアノの弾き語り、即契約。その後、デビューまでに3年かかった。
サントラでのブラック・メン・ユナイテッド(Black Men United)の曲などを手がけながら、95年に1st『Brown Sugar』でようやくデビュー。本人も「こんなに早く注目されると思わなかった。」と言ったの通りのビッグ・ヒットとなった。
ライブ盤(日本のみ)をはさみ、2000年に2nd『Voo Doo』をリリース。デビュー作のヒット&実力の認識というプレッシャーを飛ばし、濃密な作品を届けてくれた。
それ以降は、音楽以外の話題しかなく少々淋しい。主な出来事としては、アンジー(Angie Stone)との間に子どもを授かる(99年)も離婚。そして最も驚いたのは、一時は危篤とも報道された交通事故だ。シートベルトをしていなかった彼は、車外に投げ出され、病院までヘリコプターで搬送されたと聞けば、誰もが死を覚悟したであろう。
その後退院し、「ニューアルバムの準備を始めている。」という報道が何度もなされながらも、結局リリースされず。しかも2011年、売春容疑で逮捕。本人も事実を認めている。何故ここまで転落したのだろう。残念でならない。
ついに復活したのは2014年末。突如としてニューアルバムのリリース。正直、また報道だけかと思っていただけに、リリースされたことには驚かされた。その内容には賛否両論あるようだが、まずは戻ってきたことを喜びたい。
(2006.01.06/2011.03.26/2015.05.17)