1968年7月14日、オハイオ州クリーヴランド生まれ。本名:ジョー・N・リトル・3世(Joe N Little III)。父親のジョー・リトル・ジュニア(Joe Little .Jr)はバーミンガム生まれ。クリーヴランドで育ちで靴の営業を行っていた。母親のパトリシア・アン・リトル(Patricia Ann Little)はメンフィス生まれで、やはりクリーヴランドで育ったようだ。
そんな彼が12歳の時、ムハンマド・アリを通してボクシングに興味を持ち、アマチュアボクサーとして活躍していた。しかし、西海岸でゴスペル・シンガーとして活躍していた叔母の影響、またスティーヴィー(Stevie Wonder)やダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)の音楽を聴き、音楽への道を志す。クリーヴランドのタレントショウに出演するようになった。
1988年、クラブで歌っているところをジェラルド・レヴァート(Gerald Levert)に見いだされる。再度彼の歌声を確認したジェラルドは、自身のレーベル、トレヴェルに迎え入れ、契約。そのときにR&Bグループへの参加も促された。スタジオでジェラルドからラリー(Larry Marcus)、メルヴィン(Melvin Sephus)、エドワード(Edward Lee Banks)を紹介されるわけだが、それがルード・ボーイズ(Rude Boys)が生まれた瞬間と言えるだろう。グループは1990年にデビュー・アルバム『Rude Awakening』をリリース。その後、1992年には2nd『Rude House』もリリースしている。
ルード・ボーイズ解散後も、ジェラルドから個人指導を受け、リヴァート(Levert)のソングライトチームに所属することになる。エドウィン・ニコラス(Edwin Nicholas)とともに、メン・アット・ラージ(Men At Large)のシングル「So Alone」を書き上げた。これはR&Bチャート5位まで上昇した。
さらにソロキャリアもスタートさせる。1994年にアルバム『Puttin It Down』をリリース。プロモーションは少なかったものの、2枚のシングル「The Hump Is On」「Me and You」だけで、25万枚を売り上げた。さらにその年の秋にはサントラ『Jason's Lyric』の目玉ともいえる楽曲、ブラック・メン・ユナイテッド(Black Men United)の「U Will Know」にも参加している。サントラ『Rush Hour 2』にも参加し、セカンド・リリースもまもなくか、と思っていたのだが…。
2008年、地元クリーヴランドでコーヒーブランドを立ち上げた模様(Urbean Joe Gourmet Coffee inc.)。州を越えてヒューストンやアトランタでもカフェが誕生しているそうだ。もしもジェラルドが今も生存していたら、彼の声は再び世の中を癒したのかもしれないのだが…。
(2011.05.07)