1. JOHNNY GILL
  2. artist
  3. privatesoulmusic

JOHNNY GILL

johnny_gill

Biography

1966年5月、ワシントンD.C.生まれ。5歳のころには、ファミリー・ゴスペル・グループに所属し、東海岸のみではあるものの、ツアーまでこなしていたらしい。このころから楽器に興味を持ち、次々にマスターしたいった。

ジョニーと同じ中学校だったステイシー・ラティソー(Stacy Lattisaw)がいた。すでに歌手として有名になっていた彼女は、ジョニーの実力を知り、自ら所属していたコティリオン社長:ヘンリー・アレン(Henry Allen)にデモテープを渡す。ヘンリーはすぐさまジョニーと契約。しかも、ジャクソンズ(The Jacksons)シルヴァーズ(The Sylvers)の仕事で、キッズを育てることに定評のあったフレディ・ペレン(Freddie Perren)がプロデュース。ジョニーの歌声から、正統派路線で売り出して行くことを決める。

1st『Johnny Gill』は83年発表。まだ16歳であったが、声はすでに完成していた。盟友ステイシーともデュエット・アルバムを作成するなど、ソロとしてのキャリアを着実に積み上げていった。

そんな中、転機が訪れる。ボビー・ブラウン(Bobby Brown)の抜けたニュー・エディションへ(New Edition)への参加だ。これは、キッズグループからの脱皮を目指すニュー・エディションにとっては最良の形となった。その初参加のアルバム『Heartbreak』中の「Boys To Men」は、まさしく等身大の自分たちを歌った作品となった。ちなみに、この曲がボーイズⅡメン(Boyz Ⅱ Men)の名前の由来となっている。

しかし、彼は本当はソロとして歌い倒したかったんじゃないのかと思う。90年にはジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)ラフェイス(LaFace)の二大プロデューサーが参加した名作『Jonny Gill』(日本タイトル:ロンリーナイト)を発表。「My My My」(R&Bチャート2週連続No.1)という大ヒットが産まれる。そのつながりから、92年には、2つのサントラに参加。ジャム&ルイス・プロデュースの『Mo Money』と、ラフェイス・プロデュースの『Boomerang』である。この2枚の両方に参加したのはジョニーのみであり、いかにその声を求められていたかが理解できる。

その後、96年までにソロ2作、ニュー・エディションのリユニオン作などを発表。それから表舞台に登場したのは、LSGの2枚とニュー・エディションの再復活作1枚のみ。ソロ作品はいつになったら届けてくれるのか、心配したファンは多かったと推測される。

2011年。ようやく15年ぶりに6th『Still Winning』を発表。男性ソロR&Bシンガーには冬の時代と言われるなかでも、方向性に迷いのない作品に安心させられた。

2014年末にも3年のタームで新作『Game Changer』をリリース。ファンとしては、このくらいの間隔で作品を届けてもらえると嬉しいのだが…。ちなみにこの作品の内容、筆者は大好きな世界観であった。

(2005.12.09/2015.01.17)

Discography

johnny_gill-johnny_gill_1983

『Johnny Gill』

(1983)

johnny_gill-chemistry

『Chemistry』

(1985)

johnny_gill-johnny_gill

『Johnny Gill     (Lonely Night)』(1990)

johnny_gill-provocative

『Provocative』

(1993)

johnny_gill-still_winning

『Still Winning』

(2011)

johnny_gill-game_changer

『Game Changer』

(2014)

TOPへ