ルイジアナ州北西に位置するシュリーブポート(Shreveport) 出身。フェイス(Detrick “Face” Phelps)とハーシー(Marcus “Hershey” Phelps)のフェルプス兄弟と従兄弟同士のL Jai(Fred “LJai” Robinson)、ベイビーボーイ(Baby Boy)のカルテット。ハーシーとL ジャイが小学校の同級生だったこともあり、当時から教会でクワイアとして一緒に活動していた。
高校生のころにはプロファイル(Profyle)を結成。地元のタレントショウに出場し、その実力の片鱗をみせていた。そのショウのプロモーターから、ニューヨークのアーティスト・マネージャーであるムサ・ムーア(Musa Moore)を紹介される。ムサはサンドラ・セイント・ヴィクター(Sandra St. Victor)を担当していたこともあり、この2つの才能を組み合わせ、デモ・テープを制作。それが、キダー・マッセンバーグ(Keder Massenburg)の手に渡った。キダーは目の前での彼らのパフォーマンスに感心し、すぐさま契約。こうしてキダー・エンターテインメント(Keder Entertainment)初のコーラス・グループとなった。
キダーがモータウン(Motown)社長に就任してまもなく、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)のトリビュート『Marvin is 60』を企画。そのなかでプロファイルが歌ったのが「What's Going On」。彼らへの力の入れ方がハンパではないことを物語っていた。それをさらに確信したのは1st『Whispers In The Dark』の作家陣。当時最高潮の人気を誇っていたジョー(Joe Thomas)を参加させている。しかし、男性ヴォーカル・グループには厳しい時代。チャートはR&B67位と振るわなかった。
翌年、2nd『Nothin' But Drama』をリリース。ここではジョーのほか、彼と関係の深いキャラクターズ(The Characters)やオールスター(All Star)も参加。話題になったのは、テディ・ライリー(Teddy Riley)による「Liar」だ。結果、ビルボードPOPチャート4位へ導いた。テディはまだまだ終わっていないということを証明させられた。
この後、モータウンを離れ、インディで活動。メンバーもベイビー・ボーイが脱退し、Lジャイの兄弟であるナヴァージョ(Ketrick“Navajo”Robinson)が加入。新生プロファイルとなり、2004年にメジャー・マネー(Major Mone)から、3rd『Liars! Cheaters!』を発表。流通が少ない(筆者未聴)が、完成度はかなり高い模様だ。ヴォーカル・グループ厳冬の時代、この後の作品はリリースはない。
その後、リードのLジャイはジェラルド・リヴァート(Gerald Levert)周辺や、スコット・ストーチ(Scott Storch)、ニーヨ(Ne-Yo)らと活動を行っていたようだ。
現在もオフィシャル・サイトもきちんと構え、2014年にはアコースティックな「I'm In Love」という楽曲を発表している。
(2011.09.25/2015.03.28)